まるたの記録

起こったこと、思ったこと。そして、愛の記録。といいつつ読書記録がメイン。

(10)20210830

 『マカン・マラン』の話をまた一つ読み終わった。世界で一番女王なサラダの彼女は、空っぽに悩む人だった。空っぽなことを自覚した彼女に投げられたのは「空っぽなら、埋めていけばいいんじゃないかしら」だった。厳しくて、正しくて、ほんの少し背中を押してくれる言葉だと思う。
 正直な話、簡単に埋められたら空っぽのままで生きていない。だからこの言葉は厳しい。でも過去は変えられない。空っぽが嫌ならこれから埋めていくしかない。だからこの言葉は正しい。それでも変わる余地があることを、空っぽではなくなる可能性を示している。それも少し軽い言葉で。だからこの言葉は、少し背中を押してくれる。シャールさんの言葉は、あたたかくて明るい方へ導いてくれるから不思議だ。これが無愛想な会社の上司の言葉だったら、愚痴大会が始まってしまうのに。
 実は私も、自分が空っぽに感じる瞬間と闘いながら生きている。ふと、自分には何もないのではないかと思う時がある。今までしてきたあれやこれやを思い出してみるけど、それらはちっとも力になってくれない。何をしたら埋まるかもわからない。そこには空っぽな自分と空っぽではない周囲の人々がいるだけ。それに呆然として立ち尽くしてしまう。
 この時間は結構悲しい。悲しいから、この時間をなくすために何かで埋めたい。何をすればいいかなんてわからないけど。わからないけど、何かで埋めるためには、いろんなことを試していくしかないんだなぁと思わされた。生きるのに忙しくて、なかなか自分の行動を変えるのは難しい。空っぽ仲間の彼女も生きる環境は変えずにいる。それでもその隙間で今までしていなかったことを始めたらしい。私も隙間をみつけて、その隙間を何かで埋めたい。隙間を埋めていたら、いつか自分の穴も埋まるかもしれないという淡い期待を抱いて。