まるたの記録

起こったこと、思ったこと。そして、愛の記録。といいつつ読書記録がメイン。

(18)20210909

 今日は『マカン・マラン』の感想ハガキを出した。本に専用のハガキが付いてるときはなるべく出すようにしている。感想ハガキはお手軽に、本を作った人たちに面白かったよアピールが出来るから。インターネットの海に流すより、確実に声が届くのもいいところ。文字書くの好きだしね。
 今回のハガキは感想だけでなく、作ってほしい料理やマカン・マランで話したいことを書く場所があった。この部分を考えるのはすごく楽しかったけど、かなり時間がかかった。結局作ってほしい料理はあったかくて落ち着く料理がいいので鍋になった。味や具材は指定してない。鍋はかなり幅広い料理だ。シャールさんだったらどんな鍋を出すだろう。きっと、昆布や煮干しを使って丁寧に出汁を取った澄んだスープの鍋になるんだろうな。具材は野菜がたっぷり入ってるイメージ。そのときのお客さんの体質に合わせて具材を変えそうだ。
 マカン・マランで話したいことは率直にお悩み相談にした。ただ、誰にも言えないタイプの悩みだけど。きっとシャールさんにだったら料理を食べながら、するすると私の悩みを説明できるだろう。そしてシャールさんは寄り添いながら、でも私の持ってる力を信じて、可能性を示してくれる気がする。
 こんなことを考えていると、本当にシャールさんのお店に行きたくなってくる。この現実世界で、そんな素敵な場所に出会いたいな。

(17)20210907

 『マカン・マラン』を読み終えた。大事に大事に読み終えた。この本最後の料理は1週間かけて材料を追加していくスープだ。常連たちが材料を用意し、店の主人シャールの弟分であるジャダが調理を進める。ゆっくりゆっくり作る過程を、ゆっくりゆっくり読んだ。
 長い時間をかけて作るスープはアドベントスープと呼ばれていた。クリスマスのアドベントカレンダーになぞらえているらしい。日が進むにつれてミニギフトを手に入れたり、材料を追加したりするのはとても楽しいだろうなと思う。私の場合、カレンダーを眺めて今か今かと待つ行事は自分の誕生日だ。といっても、何をするでもなく「あと○日だ」と思うだけだけど。誕生日当日だって、何をするでもない。おめでとうと言われることも少ない。それでもなんとなく楽しみなのは、小さい頃の嬉しかった記憶たちのおかげだ。普段は「お菓子は2桁の値段のものを1つだけ」(あの頃は消費税が今より低かったから駄菓子でなくても2桁の値段のお菓子は存在した)なんていう親が、誕生日には自分の欲しいものをくれる。一緒に選ぶというよりは普段欲しがったものをくれていた気がする。よく私のことを見ていてくれたんだなぁと思う。
 かなり話が変わったが、アドベントスープの香りに満ちる「マカン・マラン」は店の主人シャールの帰還を待っている。実をいうと、この本には続編がある。なんともメタいがそれによって私はシャールが戻ってくることを知っている。それでもドキドキしながら読んだ。戻ってきてほしいという願いが、きっと戻ってくるという予感がそうさせたのだろう。

(16)20210906

 今日は初心に戻って『マカン・マラン』を読んでいた。読み進めていると、クライマックスにありがちな全員大集合の気配を感じ取ったので本を閉じた。私はありきたりだけど、今までの登場人物たちが集合する展開が好きだ。興奮する。あぁ、あのときのあの人がこんなことを。この人まで来るなんて。そういった感情が彼らの物語とともに流れ込む。すると胸が熱くなる。目頭まで熱くなることもある。
 だからその部分は大切に読みたい。これが映像やゲームだと勢いで進めるのだが、本だと一時停止してしまう。この違いはどこにあるのか考えてみるのもおもしろいかもしれない。それはまた今度の話だけど。

(14)20210904

 今日は用事があったので喫茶店でモーニングをいただいた。お供は持ち運びやすいので文庫本。原田ひ香さんの『三人屋』。この本にはモーニングで信じられないほど美味しいパンを出すお店が出てくる。そこまでハードルを上げられると、現実ではなかなか太刀打ちできないが、私は自分で買うよりも厚切りで、サクサクふわふわのパンを口に頬張った。その隣には程よく焼き固められたスクランブルエッグが座っている。味付けはシンプルに胡椒だけ。一見、物足りないがその隣には厚切りのベーコンが添えられている。その二つを同時に口に運べばなんともいえないハーモニーが生み出される。そしてサラダで口の中を落ち着ける。コーヒーのカップはかなり大きいのでたくさん飲めるタイプ。食後も残るコーヒーをお供にしばらく本を読み、人が増えてきたので退店した。午前中特有の明るさが気分をも明るくさせる。そのまま今日のお楽しみイベントに向けて足を進めた。そんな1日のはじまりでした。

(13)20210903

 今日はくるくる回る椅子でくるくる回って本を読んだ。気分を変えたかったから。朝読む本も少し変えたくて、工藤玲音さんの短歌集『水中で口笛』を読んだ。私は工藤玲音さんの言葉がかなり好物なのでとても美味しくいただいた。水みたいにすぅっと透きとおっていて、心にぽつぽつ染み渡る。そんな感じの言葉。
 それにしても短歌は絵を眺めるのに似ている。読んで情景を思い浮かべて何か思ったり、よくわかんないなぁと思ったりする。よくわかんないけど好きだなと感じることもある。わかったり、わからなかったり。そういう曖昧な解釈の海のなかで言葉を感じるのも楽しい。作者の方がどう思っていたのかは知らないけれど。
 鑑賞するときに、自分なりの考えを持った後に作者さんの解説を見るのも好きだ。「あぁ、こう思っていたのか。」「ここには書いてないけど、この部分もそのメッセージ性が隠れてそう。」「私はここ、こう思ったんですよ。」などと脳内で会話を始めてしまう。そういえば、高校の頃は同年代の人たちとお互いの作品を見て、対話を交えて鑑賞したなぁ。「そうなんだよ、わかってくれる!?」「そんなこと考えてなかったけど確かにそんな風にも見えるなぁ。」「その解釈好きだからアイデアもらっていい?」作品が自分が思っている以上のものに変化していく、あの時間がとても好きだった。人をつかまえるのは、とても緊張したけど。先生からもコメントもらうから、涙出そうだったけど。それでもとても楽しみで、大好きな時間だった。

(12)20210902

 連日布団の上で過ごしていたので今日も調子が出なかった。夕方過ぎまで本を読んだり、動画を見たりしながらぼーと過ごす。やらないといけないはずのあれこれを思い浮かべながら動けずにいた。
 ようやく重い腰を上げたときには外はすっかり暗かった。そこから日常のあれこれを片付け、やらないといけないあれこれにちょっとだけ手を付け、現実逃避に本を読む。本を読む手が止まったのは眠気がやって来たからだ。夕方過ぎまで微睡みながら過ごしていたのに、0時過ぎに眠くなるとはどういうことだろう。私の身体は睡眠を求めすぎではないか。一体どれだけ眠れば気が済むのか。
 世の中には、よく眠れる方法ばかり溢れていて、眠りすぎない方法というのがなかなか見つからない。「適切な睡眠時間は人それぞれです」ってそれ、不平等じゃない?1日は24時間しかなくて、寿命もあってそれはみんなに平等に訪れる。でも活動時間は眠らない人の方が多い。よく眠る人はその分夢の中で活動してるともいえるけど現実世界での実績にはならないんだよなぁ。形にして昇華しないかぎりは。それにも現実世界での時間を必要とするわけで……
 というわけで、眠気をなくす方法を書いた本があれば教えてほしいと思う今日この頃です。